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初心者ブロガーの奮闘記

「嫌われる勇気」を読んでみた。”人生は他者との競争ではない”Part13

こんばんは!しんです(^_-)-☆

 

今日は、売上200万部を超えるベストセラー。ホリエモンも絶賛する

「嫌われる勇気」について記事を書きます!

 

本日のテーマは、「人生は他者との競争ではない」です!

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結論から言いましょう!

他者と自分を比較することなく、誰とも競争することなくただ前を向いて歩けばいいのです性別、年齢、知識、外見、人それぞれに個性があり、同じ人は一人もいません。人は皆同じではないけれど、対等であります。頭がよかったり、外見がよかったり、人それぞれに違いはあれど、それで人の価値が決まるわけではありません。我々が歩くのは他者との競争のためではありません。今の自分よりも前に進もうとする行為にこそ価値があるのです。

 

それでは詳細に読み解いていきましょう!

まずはPart11で説明した優越性の追求について話します!

 

 

 

優越性の追求とは

私たちは、常に、自分をより良く見せたい、より良くなりたいと思っています。これをアドラーは優越性の追求と言ってます。「もっといい点数をとりたい。」「もっとお金もちになりたい。」こういった向上したい欲求のことであり、我々は皆持っています。優越性の追求とは、あたかも他人を蹴落としてでも、上に行こうとする欲求ではありません。自分の意志で前へ進もうとする意志であります。

 

健全な劣等感

人はどうしても他者と比較してしまいます。そして、負けた時や劣っていると感じたとき、劣等感を感じます。アドラーは健全な劣等感とは他者と比較で生まれるのではなく、過去の自分との比較から生まれるものであると言ってます。できたらと思って

 

あくまでも、他者は競争する相手ではなく、共に前に進もうとしている仲間である。

 

あくまでも人は対等

なぜなら、性別、年齢、知識、外見が違っても、それで人の価値が決まるわけではありません。あくまでも人は対等である。

 

今の自分より前に進もうとすること

彼は一流大学に入ったから、自分よりも優れているとかそういうことではなく、大事なのは、今の自分よりも前に進もうとする行為にこそ価値がある。

 

本記事のまとめ

・健全な劣等感とは、過去の自分との比較から生まれるもの

・知識や外見で人の価値は決まらない。あくまでも人は対応

・今までの自分より前に進もうとする行為にこそ価値がある

 

 

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